おめでと!

他人の幸せを、素直に喜ぶのって意外と難しいと思うんですよね。
他人の不幸は蜜の味の反語ではないですが、人間ってのは他人の幸せに対しては妬み・嫉みを抱いたりしてしまいますからね。


でも一方、「因果応報」のルールに則ってるとまだ納得しやすい所もありますね。
頑張った、努力した、その結果成功しているなら、まあ仕方ないと。
あいつは俺より勉強してたからテスト上だったな、仕方ない…みたいな。
じゃあ生まれながら頭がいい奴はなんだ、ってのを因果応報ルールに乗っけるためにできたロジックが前世なんじゃないかなあと僕は思ってます。
逆に憎まれっ子世にはばかってるのを溜飲下げるために、死後の地獄とか畜生道に落ちたりとかができたんだと思います。


さて。
僕はいつ頃からこの因果応報思想に毒されてるのかわかりませんが、子供の時とかテストの前よく空き缶拾いをして「空き缶を拾いをしたから(善行)、テストいい点取れるだろ!」とか思ってました。
もちろん結果には結びつきませんでしたけどw
そもそも見返りを求めてる時点で善行なのか微妙だよね。


でも、やっぱり見返りは求めちゃう。
テストでいい点取って親や先生に褒められたいしクラスで一番頭良くなりたい。そして、普通に自分の能力としても頭良くなりたいし。
別にこれはテストだけに限らず、世の中のことなんでも。お金も欲しいし、名誉も欲しいし、モテたいし。


厨二病ではないけどそんな自分が凄く嫌だな、って思います。
何か正しい行動していても、これは無意識に結果を求めての偽の善行なんだな、って思ってしまったり。
そのくせ偽でも善行は善行なんだから報われるべきだと思いもするしw
多分感受性の強い人には僕のこういう感じはバレてしまうんじゃないかなと思います(汗)。


久しぶりにEVAでも観たのかって感じの鬱っぷりですがw
結局は幸せになりたいけどどうすりゃ幸せになれるのか、因果応報ルールに基づいても意識しちゃダメならどうするんだっていう話w
宝くじとか買った後忘れた方が当たるんじゃねーか、みたいなそゆこと。
何も意識しないで空き缶拾うってのも習慣にすればできるもんなのかな?


そう言えば、アロマテラピー検定1級受かりました。


アロマの上級資格も目指して行こうかなと考えています。
漢方とかハーブとかアロマとか、最近女子力高くなってるけどこういう昔からの知恵の中に幸せのヒントって含まれてるんじゃないかなって思ってます。
ただ癒しが欲しいだけなのかもしれんけどね。色々、心に来ること多いのよw


このブログを読んで下さった方も、そしてあなたにも是非幸せになってもらいたいものです。