ないくう!

前回、前々回のブログはこちら。伊勢神宮編ラストです。
http://d.hatena.ne.jp/morogimi/20150222
http://d.hatena.ne.jp/morogimi/20150301



セミナーの一環として、神宮崇敬会の方のガイドを聞きながらの内宮正式参拝からの御神楽でした。
正式参拝があるのでスーツで行かなきゃいけなかったのが、ちょっと面倒でしたw
http://www.isejingu.or.jp/naiku.html




まず、はじめ。五十鈴川にかかる宇治橋いすゞ自動車の由来となった五十鈴川。五十鈴と聞くと個人的には『天上天下』の縦ロールのキャラを思い出すんですが。ぼんばへ!
閑話休題
これが一の鳥居っぽいですけど、これではないらしいですね。
ちなみに一般的に寺社は左側通行が多いのですが、内宮は右側通行になってます。
なぜか!?
その理由は手水舎が右側にあるから、人間が交差しないようにらしいです。割と合理的w




そして五十鈴川の河原。水が冷たかったです。




さて、内宮へ続く階段。こっから先は写真が撮れなかったので。
そしてお参り。ツアー的な感じだったのでゆっくりできなかったのが残念だったのですが、普通の人は入れない区域にまで行けたのは嬉しかったです。


そして神楽。ちゃんと観たのははじめてでしたが、多分に大陸的な要素が強いもんですね。
支那朝鮮半島の東アジアの国々は古代と今では民俗構成も文化もまったく違ってしまってるけど、神道の中にはそういう過去の失われた国々の残滓が残っているのかなあなんて考えてました。


最近のイスラム国だけでなく、昔から洋の東西を問わず宗教ってそこにはどうしても優位性というものが主張するから他者を攻撃。攻撃までいかなくても、おせっかいにも改宗させたり。
それこそ今だって新興宗教の勧誘とかもそうだし。金儲けとかもあるだろうけど、本当に信じて他の人にも幸せになってもらいたいからって勧誘する人もいるわけだから。


神道の場合は、もちろん歴史的に見たら豪族たちの祖先神を天皇の本筋の神話に混ぜたりしてって言ってしまえばそうなんですが。そもそものスタートから色んな神を吸収してますから。
後の世の仏教との付き合い方だとかもそうだし、現代においてもクリスマスやハロウィンだとか異国のものを自国文化に組み込んで。
他者を拒絶するでなく。決して排他的でなく、良い所は受け入れる。自分たちの中に組み込んでしまう、そういう点は神道的というか日本的だなあってのを感じます。
勿論なんでもかんでも受け入れるのは伝統という観点から見てどうなんだ、とか。ただ流行に流されてるだけだとも言えますけど。
式年遷宮で、新しく建物を建て替えてもそこにはやはり伝統が残っていますし。
何というかな。伝統ってのがただ古いものをそのままに残しておくのではなく、伝統を更に良くして行くというか。
ヒカルの碁』で例えると、囲碁という伝統的なルールの中で、先人たちへのリスペクトを払いながらも新たな一手、神の一手を目指す…伝統ってのも、そういうものなんじゃないかなあ。


兎にも角にも。
神道はそういう懐の大きさは世界の中でも一番なんじゃないかなあと思います。


今回の旅行。予想以上にいい影響を、感銘を受けたと思います。





帰りは五十鈴駅から帰ったのですが、近くにあった月読宮を最後に。
次はたくさんある別宮もまわってみたいなあ。